スマラプラ宮殿
スマラプラ宮殿
18世紀から20世紀初頭まで栄え、バリ島全土に影響を及ぽしたスマラプラ王朝の宮廷跡。敷地内には当時の裁判所クルタ・ゴサ、「水に浮かぶ宮殿」とも呼ばれるバレ・カンバンBaeKambang、王族の遺品などを展示している博物館がある。
スマラプラは、バリ島東最大の街であり、スマラプラ王朝の都が置かれ繁栄した古い町でもある。歴史的には、バリ島の正統王朝であり、19世紀後半のオランダとの戦闘で大被害を受けたものの、街のあちこちに古都の面影が残る。
1995年に地名をクルンクンからスマラプラに改めたが、現在でもクルンクンと呼ぶ人が多く、人々の信仰の深さがうかがえる。町の中心は、ププタン記念碑が立つ交差点で、スラパティ通りをはさんでププタン記念碑の向かい側にスマラプラ宮殿が鎮座する。
プブタン記念碑から東はディポネゴロ通りで、この界隈が町一番の繁華街となっている。商店街やマーケットがあり、徒歩圏内に観光スポットも集中している。
バリ島・スマラプラ宮殿バリ島・スマラプラ宮殿
■場所:中心地交差点からすぐ
■時間:朝〜夕方
■休み:祝日
■料金:Rp.5000(クルタ・ゴサ、バレ・カンバン、博物館共通)
クルタ・ゴサ
スマラプラ王朝時代から1942年まで最高裁判所として使われ他施設で、スマラプラ宮殿の人口東側に建っている。当時はブラフマナ階級の3人の僧侶が判事を務めていた。
スマラプラ様式の建物は壁がない独特の造りで、天井にはカマサン・スタイルの絵がびっしりと描かれている。絵は罪と罰を表すものが多く裁判所にマッチしたものが多い。
バレ・カンバン
スマラプラ宮殿の人口からすぐに姿を現すのがバレ・カンバン。ゲルゲル王朝時代の王族の休憩所で池の中に浮かぶように建っている。
17世紀後半にスマラプラの南にあるゲルゲルに建てられたものを、1940年代にここに復元したといわれ、当時は王家の人々がこの建物の中で涼をとっていたと伝えられている。建物の周囲には石彫りや柱を飾る木彫りなども見ることができる。クルタ・ゴサと同じく、カマサン・スタイルで描いた天井画がある。
博物館
ゲルゲル王朝からスマラプラ王朝にまたがる時代のマラプラ周辺の出土品や、王家の宝物などを展示している博物館。玉座や金銀の食器、武器などが華やかな時代を偲ばせる。オランダ軍との最後の戦いを描いた絵画は迫力がある。
オランダのバリ島侵攻が119世紀半ばに始まったが、スマラプラ王国は最後まで抵抗を続けた。その戦いを記念して建てられた碑がある。オランダ軍は近代兵器で武装していたため次々と他の王国が降伏していくなか1908年、スマラプラ王国は決死の抗戦を決行し勇敢に戦った。男性を象徴した形の碑の内部には、当時の壮絶な戦いの様子や第2次世界大戦時の日本車について紹介するジオラマなどが展示されている。
■場所:中心地交差点からすぐ
■時間:7〜18時
■休み:祝日