アンコールワットと説話

アンコールワットと説話
アンコールワットと説話
アンコールワットと説話にはプノンペンの仏教研究所が出版したクメール昔話集が非常に参考になる。カンボジア人の伝承の中で、どのように語られてきたがが詳しく書かれている。

 

仏暦600年、上海にルム・セーンという人物がいた。ルム・セーンは貧しい花売りをしながら生計をたてていた。ある日のこと、インドラ神の天界から天女達がルム・セーンの花畑へ遊びに来た。その時に天女トウップ・ソタチャンは花を6本摘んでしまったことから、罰として6年間下界に住みルム・セーンの妻になるよう命じられる。

 

1年後、ふたりの間には男の子が生まれ、地面に絵を描くのが好きなことから「プレアハ・ピスヌカー(建築の神ヴィシュヴァカルマーに由来)」と名付けられた。やがて6年間の罰則期間が過ぎて、トウップ・ゾタチャンは天界へと帰った。

 

父と子は、悲しみにくれた。プレアハ・ピスヌカーは母を失った悲しみが癒されず、母探しの旅へと出かけた。野を越え、山を越え、たどり着いた丘の上で、プレアハ・ピスヌカーは母トウッブ・ソタチャンと再会を果たした。

 

母に連れられて天界へ赴くと、プレアハ・ピスヌカーはインドラ神の計らいで、天界の絵画や彫刻の技術を学ぶ機会を得た。インドラ神は、成長したプレアハ・ケート・ミアリアの姿を見ようと思い、彼のもとに降臨した。自らが父であることを明かしたインドラ神は、彼を天界へと連れて行った。

 

お前をカンボジア王にして、天界の宮殿と同じ物を地上に建ててやろうとインドラ神は約束し、プレアハ・ビスヌカーを呼び出して、地上に宮殿を建てるよう命じた。仏暦620年、プレアハ・ピスヌカーは彫刻がふんだんに施された宮殿を建てた。それが、現在まで伝わるアンコール・ワットである。

 

  宮殿にたいそう満足したプレアハ・ケート・ミアリアは、プレアハ・ピスヌカーに鉄180k9を与えて、剣を作らせた。プレアハ・ピスヌカーは鉄を鍛えて、鋭利で小さな剣を作った。だが、プレアハ・ケート・ミアリアは剣が小さいのを目にして、プレアハ・ピスヌカーが残りの鉄を着服したのではないかと疑った。疑われて腹を立てたプレアハ・ピスヌカーは、剣をトンレサップ湖に投げ捨て、故郷の中国へと帰って行った。

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