アンコール遺跡の歴史
アンコール遺跡の歴史
一言でアンコール遺跡の歴史といっても語りつくせないが、史実に見て学び、実際に遺跡を見て感じることでしか得られないものもある。アンコール・トムが建設されたジャヤーヴァルマン7世の時代、クメール王朝も絶頂期を迎えたに違いない。それは遺跡に見る、レリーフの数や、丁寧な仕事で判別がつくだろう。
しかし、アンコール・ワットという象徴的な建造物を境に栄枯盛衰を繰り返し、ついには滅びていった。それは近代史にも当てはまると思われる。かつてポルポト派の軍が旺盛を振るった足跡がシェムリアップのキリングフィールドで見られる。キリングフィールドは軍の牢獄としても使用され、現在でも数百の頭蓋骨がいたたましく残されている。
今回、Hさんの計らいで、軍を訪れることができた。話によると、交渉次第では軍の射撃場で射撃ができるとのことだった。なにやら怪しげな話だったが、用意されたバイクタクシーに乗り込み軍へ向かう。途中人影のないところを通り、あぜ道に入っていったりしたので、かなり不安なところもあったが、無事到着。
施設内には傷跡ともいえる銃器がさりげなく放置されている。アメリカ製のランチャーと思われるが、見た目と違い、その迫力は少しも錆びていない。
アンコール遺跡の歴史ものものしく並べられているライフル。
やはりあった射撃場。だが、これはあくまでも軍の訓練用のもの。通常は一般客や観光客は射撃することはできない。交渉次第とはいっても命の保障は何もない。ここはやはり見学だけにしておいた方が無難だろう。
ポルポトについては諸説あるが、軍関係者の「ポルポトは悪くない」といった片言の日本語がやけに印象的だった。私たちはその足でシェムリアップのキリングフィールドへと向かった。