屋久島縦走-展望所
小花之江河から15分程降ると左手に展望所がある。ここからは、標高1711mの高盤岳が眺望できる。山頂にある奇岩がトーフを切った形に似ているためトーフ岩とも言われている。その他、温帯針葉樹林なども観察できる。少し休んで淀川小屋へと足を進める。
この辺りから登山道脇に案内板の標識が現れだす。所々に設置されている案内板に目を向け、あと5kmやあと4kmという表示に励まされる。しかし、それと同時に1km=1時間という目安に気付かされます。もうかれこれ1kmは歩いたかなと思ったころに実際500mくらいしか進んでいなかったりもして、案内板の表示をみて絶句して身体中から力が抜ける思いもした。
淀川小屋まであと2.5kmの案内板。このあたりが一番辛かった。二人とも気力、体力の限界にきている。息子が「あとどのくらい(時間)?」と尋ねてくる。心では2.5時間と解かっていても、息子にこれ以上辛い思いをさせられない。まして、バスに乗るために淀川小屋から紀元杉バス停まで、さらに1時間近くは歩かなければならない。合計3.5時間。とてもじゃないがこの時正直には答えられなかった。
息子との距離がだんだんと間延びしてくる。目視できなくなるたびに「来てるか!」、「ガンバレー!」と叫び励ました。また、その声に自分も叱咤激励された。なにより息子の頑張る姿に励まされる。そんなことを数回繰り返した。が、二人とも、もう限界の限界に、、、。しばらく立ちすくみ二人ともしゃがみこんでしまった。
淀川登山口まで残り2km。テーピングした足はむくみ、膝には激痛が走る。息子も足のつま先が痛くてたまらないと悲鳴を上げている。ザックからペットボトルを取り出し水分を補給し、アメ玉で糖分を補う。疲れた体にしみわたっていくように、少しだけ気力を取り戻すのを実感する場面だった。「残り2km!ガンバルゾ!」と気合をいれ再び立ち上がった。
この時点で、要所要所のチェックポイントの時間が15分遅れで来ていて、焦りは増すばかりだった。さらに続く悪路。急斜面、思い荷物が二人の進行を妨げる。一番辛かったのが宮之浦岳頂上からの後半戦はなだらかに降っていくと勘違いしていた事だった。辛い、足が痛い、膝が痛い。登り。ん?「登り?」何で下山しているのに登山しなければならないのか?だんだん登り坂に腹が立ってきた。そう、いくつものピークを超えながら下山するルートになっている。
後半は楽勝とたかをくくっていたのが間違いだったのか、登りになるとそんな自分に腹が立つ。「クソー!」、「もう絶対に来ん!」。息子も「ワー!」と叫び出した。それから二人で、コンチクショー!、二度と来ん!何で?下山してるのに登山せんといかんとかー!(方言丸出しでゴメンナサイ。)怒りの絶頂というか絶唱でした。
おかげで?というと少し変だが、怒りにかまけて幾ばくかの距離は稼げた。でもそうこうして歩いていると、だんだんと怒りも無くなってきた。腹の底に煮えくり返っていた怒りがだんだんと薄らいでいく。そして腹の底から出し切ったのだ。怒りは山に捨てたといえばカッコいいかもしれないが、もうへとへとで怒りも湧いてこない常態だった。