屋久島縦走-高塚小屋

縄文杉より5分程登ったところに高塚小屋(標高1370m)がある。今夜のキャンプ地となるところだ。高塚小屋には数人が寝泊りできるスペースがあるが、すでに満員御礼で、とても入り込めるスペースはなかった。ある意味、想定してた通りだったが、見るからに泊まりたくなる雰囲気でもない。持参したテントをさっそく設営することにした。

 

小屋周囲にはテントを張るために滑らかに整地されたところが数箇所あり、私たちが到着した時には既に先客が幾つものテントを設置していた。幸い一番奥の場所が一つだけ空いていたためそこに設置することにした。

 

無事設営を終え食事の準備に取り掛かる。待ちに待ったはずのカレーだった。が、まず近くに水場がない。高塚小屋には水場がなく、縄文杉のさらに下まで汲みに行く事になる。水場までは往復で10分くらいのところだが、疲れた身体にはとても遠くに感じてしまう。空腹と疲労感で、やっとの思いで汲んできて調理にかかる。この時すでに午後7時を過ぎていて辺りは暗くなっていく。懐中電灯で照らして食事を摂った。

 

今夜のメニューはカレー二人前ずつと、玉子スープの予定だった。が、いかんせん食欲が湧いてこない。息子も普段なら軽々と完食するところだが、無理して口に運ぶ様子で、二人ともそれだけ疲労がピークに達していたのだ。玉子スープも食べるためにはもう一度水場へ汲みに行かなければならない。当然ながらキャンセルだった。

 

さて、その後テントに入ってある事件が勃発するのだが、結果的に九死に一生を得ることになる。先にテントに入った息子が「あー!こぼれてる!」と叫んだ。突然なんだろうと思いきや、夜の楽しみにと思って持ってきた焼酎がひっくり返って全部テントの中にこぼれてしまって、びしょぬれの常態だった。ペットボトルの中身の焼酎は見る影もなく、それよりびしょ濡れになった床を何度も雑巾で拭い去る作業に追われた。

 

結局愉しみにしていた寝酒の焼酎が無くなり、泣く泣く床についた。息子は疲れていたせいか、ものの数分でぐっすり眠った。私はそれから極度の疲労のせいかなかなか寝付けなく、今日一日の出来事が去来する。蘇ってくるのは辛い場面ばかりだ。時には滑って転んで、時には断崖を綱渡りのように歩く場面であったりする。なぜか充実感もなく、明日への不安の方が多かった。そのためか益々眠れなくなった。

 

寝酒の焼酎があったらなー。などと思いながらそのまま夜の静寂(しじま)は深まっていく。そうこうしているうちになんだか息苦しくなってきた。意識も朦朧としている。最初は疲れているせいか、と思っていたが、どうも息子の息づかいも荒くなっている。スヤスヤと眠っていたのがハーハー、ゼーゼーと息が荒い。

 

換気口も寝る前に確認しておいたはずだったか、どうやらそれが甘かったらしく、酸欠常態に陥ってしまったようだった。すぐさま換気口を全開して、テント入口にあるファスナーを広めに開け換気した。今思えばぞっとする話で、もし焼酎を飲んで爆睡していたとしたら、果たしてどうなっていたか解からない。通常酸欠に陥ると息苦しくて目が覚めるというが、普段から雷が鳴っても地震が起きても目が覚めない私はちょっと大げさだが、九死に一生を得る思いをしたのである。結局その夜は一睡もせずに夜を明かすことになった。

 

午前4時30分。長い長い夜の静寂から開放され、明け方の東の空が薄っすらと曙色に染まり行く。標高1300mからの朝焼けは神秘的な大自然の営みを垣間見る貴重なシーンとなって記憶に残った。幸い、眠れなかったが横になって静かに目を閉じているだけで、幾分か疲れも和らいでいた。さあ、気持ちを引き締めて戦闘準備にかかる。今日一日は長丁場だ。

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