ジャワコーヒー
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飲用にあたっては、コーヒー豆の焙煎度が深く、また超微粉になるように豆を粉砕する。
ドリップのフイルターを用いると目詰まりするので、カップにコーヒー粉を適量注ぎ、直接お湯を加えてかき混ぜる。粉が底に沈むのを待ってから、その上澄みを飲む。
見た目は濃く、苦そうだが、香り高く飲み易い。
ジャワにおけるコーヒー栽培の歴史は、インドネシアのオランダ領東インド時代にさかのぼる。オランダによってインド産のアラビカ種のコーヒーの苗木がジャワに持ち込まれたのは17世紀末だと伝えられるが、本格的に栽培が始まるのは、1830年に東インドに導入された強制栽培期以降のことである。
以後、コーヒーは東インドの有力輸出品目の地位を獲得し、オランダの植民地経済の重要な収入源となったが、19世紀末の農業恐慌、1930年代の経済恐慌により、東インドのコーヒー栽培は大打撃をうけた。
インドネシア独立後はコーヒー生産も徐々に回復し、ジャワだけでなく、スマトラ(マンダリン)、バリ、スラウェシ(トラジャ)などの各地で栽培が盛んである。
Wikipedia参照
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ジャワ島の伝統工芸
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ジャワ島の伝統工芸
世界的にも知られているパティックはもともとはインドからジャワ島に伝わったもので、
現在インドネシアの各地で見ることができる。
ジャワ島の各地では現在もバティック産業が盛んで、
パティックの模様は極めて多く、3000〜5000もの種類がある。
古い伝統的なもから19世紀以降のものなど多岐にわたる。
産地によりその特色が生かされ色、デザイン、模様がそれぞれ異なる。
それゆえにバティックの専門家は伝統的な模様を見ることで、
産地がどこかを判別することができる。
バティックの歴史とデザイン的特徴を知れば、ジャワ島への旅行も
さらに意義深いものになるだろう。
バティックの模様と歴史
バティックの歴史は12世紀、仏教・ヒンドゥー文化とともにジャワ島東部のクディリ王国にもたらされたの
を端に発する。バティックbatikはジャワ語のambatik(自い布に純な点描をする)に由来していて、
当初はジャワ島、マドゥーラ島、スマトラ島のジャンビに限られていた。
後々インドの更紗の製法とは異なる独自の方法が施されるようになり、
木綿布や防染材料の蜜ロウ、染料が現地で調達できるようなると、
ロウ防染だけによるジャワ島独自のバテイックヘと発展していった。
14世紀に入ると画期的な発見によりバテイック制作に大きな変化をもたらした。
チャンティン(蜜ロウを入れる道具。鳥のくちばしのような形をした先端から細くロウがたれる仕組み)の考案で、
それまで竹べらで描かれていた単純模様は驚くべき進歩を遂げことになる。
バティックに描かれる模様には、仏教、ヒンドゥー文化の影響が見られるが、より
精緻な輪郭をもつ複雑なデザインが描かれるようになった。
また、インド、中国、中東、ポルトガル、オランダなどの交易先から影響を受けた
ジャワ島各地の文化が、バティックのデザインにも反映された。
この頃から一般的にも広く愛用されるようになる。
当初バティック制作は王宮貴族の独占的な仕事であったため、それらは王宮独特の模様でもあった。
しかし、交易が盛んになる16〜17世紀以降は
大量の木綿や蜜ロウが安価で手に入るようになり、バテイックは一般の人々にも広まっていった。
19世紀になるとチャップCapとよばれる銅製の型によるロウ置きの技術が生み出される。
これにより画期的な大量生産が可能になる。
チャンティンでは1枚に2週間近くかかっていたロウ置きが、1週間で20枚の制作が可能になった。
バティックの量産化に拍車がかかったのは言うまでもないだろう。
バティックを買う
デザインが緻密で 優れたバティックの作品は
手描きに手間ひまがかかっているだけに
そのでき栄えは美しく、息を呑むほど見事だ。
良品を選ぶには見る目を養うしかないのだが、現地の博物館や
アンティークショップで見ることができる。
産地では工房兼店舗が大半なので制作工程を見せてもらえる。
地域によりデザインは偏ってくるが、
古い伝統的デザインのものはソロのトウリウィンドウー市場Pasar Triwinduで
購入できる。
ジョクジャカルタの王宮南のティルトディプーラン通リにはララ・ジョングラン
をはじめエ房兼店舗が集まり、制作工程を見学でき、品数も豊富だ。
また、各産地のバティックを求めるなら、マリオボロ通りのミロタMirotaとマルガリアMargariaがおすすめだ。
高級品が目当てならソロのダナール・ハディDanar Hadi。
手ごろでリーズナブルを求めるならソロのクレウェル市場Pasar Klewerがおすすめだ。
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ガムラン
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ガムラン(インドネシア語: gamelan) とは、欧米や日本などでは、ガムラン音楽、Gamelan music などとも言い、東南アジアのインドネシアで行なわれている大・中・小さまざまな大きさの銅鑼や鉄琴の類による器楽合奏の民族音楽の総称である。
またこの語を広義に取り、周辺のマレーシア、フィリピン南部スールー諸島などの地域の類似の音楽のことを指す場合もある。元来は、インドネシア、ジャワ島中部の伝統芸能であるカラウィタンで使われるサロン saron やゴン gong などの伝統楽器の総称の意であった。
ガムランの語は「ガムル(たたく、つかむ、あやつる)」という動詞の名詞形で、その名の通り、銅鑼や鉄琴の類など叩いて音を出す楽器が多い。後にこういった楽器、類似した楽器を使用するジャワ島の他の音楽、及び周辺の島々の類似の楽器を用いる音楽の総称となった。
Wikipedia参照
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