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神秘的なバイヨン
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バイヨンの神秘性
アンコール・ワットからバイヨンヘと続く道上に建つ南大門(写真上)。
勝利の門とも呼ばれ、かつての兵士たちが戦いに勝利し、この門をくぐったといわれる。
バイヨンがあるアンコール・トム(大きな町)は8mのラテライトの城壁で囲まれ、
周囲12kmの城壁内に、十字に主要道路が配置され、その中央に位置するのがバイヨン。
王宮はそこから少し北にいったところにある。
ゾウのテラスやライ王のテラスが有名だが、これらは一体化した王宮の塔門にも
なっている。象のテラスはジャヤヴァルマン七世によって建造され、
バプーオン遺跡からライ王のテラスまで300m以上もる巨大な規模を誇る。
正面は広場になっていて、中央に3つのテラスがある。このテラスが
王族が座するロイヤルシートとなっていた。ここで王族は閲兵したり、
戦地から凱旋してきた兵士たちを迎えた。
勝利の門とは交差するように東向きにテラスが設けられている。
これはヒンドゥー教の影響を強く受けていると見られ、
戦闘を繰り返したチャンパ王国の方面を向けられ、さらには後方の中国までをも
見据えていたといえる。
王と神の都市アンコール・トム
アンコール・ワットの大伽藍の造営によって、人々の
精神的統一を図ったスールヤヴァルマンニ世。外征も積極的に行ったが、
1177年のベトナムのチャンパ軍による王都略奪から艱難辛苦の時代がしばらく
続いた。
そして救世主のごとく表れ、アンコール地域を解放しだのが、
クメールの覇者と呼ばれるジャヤヴァルマン七世であった。
この時に新設されたのが他ならぬアンコールトムである。
アンコールトムの造営と同時に、領土内の各地に寺院を建立し、
102ヵ所にもおよぶ施療院や道路網の整備を行った。この時各方面
へと整備された道路が「すべての道はアンコールへ通じる」の
由来となっている。
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バイヨンの歴史
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アンコール王朝の中興の祖と言われるジャヤーヴァルマン7世がチャンパに対する戦勝を記念して12世紀末ごろから造成に着手したと考えられており、石の積み方や材質が違うことなどから、多くの王によって徐々に建設されていったものであると推測されている。
当初は大乗仏教の寺院であったが、後にアンコール王朝にヒンドゥー教が流入すると、寺院全体がヒンドゥー化した。これは、建造物部分に仏像を取り除こうとした形跡があることや、ヒンドゥーの神像があることなどからも推測できる。
1933年に、フランス極東学院の調査によって、中央祠堂からブッダの像が発見された。
Wikipedia参照
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