台湾の歴史

若い人たちの世代では歴史的背景を改めて認識する機会は少ないと思うが、台湾はもともと日本の領土だったことがある。

 

台湾は1895年の日清戦争で、当時の清国から日本に割譲され、第2次世界大戦終了の1945年までの50年間、日本の植民地となっている。

 

そのため日本は台湾に台湾総督府(現在の総統府)を置き、学校では日本語の教育を行っている。さらに、各要所には神社が建てられ皇民化(天皇の臣民となること)が図られ、天皇を一つの象徴として国民感情を教育している。

 

街を歩いていると解かると思うが、軍服姿の老人が片足を不自由な様子で、待ち行く人に情けを乞う姿が見受けられる。その流暢な日本語にはふと振り返るほどに、日本人の言葉と魂が受け継がれている。

 

現在でも9割近くの高齢の人たちの多くが流暢な日本語を話すことができる。また、親日家の人も多い。のちに出てくるが、台湾の先住民族は9種族存在していて、それぞれ言葉が異なるが、その9種族の共通の言葉として日本語が今でも使われているくらいだ。

 

日本の統治時代が終わり、神社は多くが忠烈祠や廊などに変わっていった。台湾神社の跡には台湾を代表する園山大飯店が建てられた。今では各国のVIPが常泊する国際的なホテルになっている。また、空港近くの桃園には、桃園神社の本殿が今も残っており、桃園県の忠烈祠になっている。鳥居も下の横線がなく、切妻式の本殿も内部のものはすべて取り払われ、戦没者の名が刻まれている。

 

日本軍と原住民との間で繰り広げられた霧社事件が起こった霧社の霧ヶ丘神社は徳龍宮となり、鳥居には2本の角がつけられ、灯籠も色が塗られ、中国式に変えられた。戦後日本の急成長と同様に、日本統治時代が終わり台湾全土でこういった動きが活発になっていった。

 

一方、日本統治時代に建てられた一般の建物の多くは今も健在である。台湾省立博物館の玄関ホール、ルネッサンス様式の監察院、台大医学院、台湾銀行本店、西門町の日本料亭「神戸牛琲」、新北投温泉の日本式旅館「吟松閣」、旧日本軍の将校クラブだった「北投文物館」、駅そのものが観光名所の感がある美しいレンガ造りの台中駅と新竹駅。嘉義、台南、高雄駅も日本時代の駅舎である。
和洋折衷ではないが、台湾の島国で生き抜く国民性が他国の文化も取り入れつつ自国の建国にまい進した姿が現在でも名残として残っているのである。

 

また、畳敷きの部屋も台湾では温泉旅館を中心に数多く残っている。特別室の和室を除いて、たいてい大勢が寝られる団体用とされており、空いている時は畳の部屋と指定すれば洋室よりも安く泊まれるのがありがたい。浴衣を出してくれたり、料理は台湾料理ながら、部屋で食事のできる温泉旅館もある。台湾は日本からは消えつつある日本文化にも、出会うとこのできる不思議な国でもある。

 

台北の歴史を知る上でもっとも気軽に体感できるところは、個人的には故宮博物院をおすすめしたい。

 

蒋介石が持ち込んだとされる金銀財宝や豪華で優雅な宝飾品などが展示されています。そんな台北の礎を創造した偉人の歴史に現代の人々が追尊する偉大なる建造物である。是非足を運んでみてください。

オランダの東インド会社が台湾島南部を制圧した1624年から、 鄭成功の攻撃によってオランダ東インド会社が台湾から完全撤退した1662年までの37年間。

オランダ統治時代

台北市内に位置する円山遺跡及び芝山岩遺跡の発掘調査により、台北地区には旧石器時代晩期には人類が居住したいたことが判明している。
7000年前、台北が大屯山と観音山に囲繞され100平方Kmに達する大湖であった時代、円山と芝山岩は水没を免れ湖畔を形成していた。当時の人々はこうした標高100m程度の丘陵地帯に居住し、原始的な農業と狩猟による生活を送っていた。

鄭氏政権

17世紀の台湾に存在した漢民族の政権。清朝への抵抗拠点を確保する為に、鄭成功が台湾を制圧する事で成立した。台湾史上初の漢民族政権による統治が実現したが、清朝の攻撃によって政権は20年強の短命に終わった。

清朝統治時代

清朝が鄭氏政権を滅ぼした1683年から、日清戦争の敗戦に伴い清朝が台湾を日本に割譲した1895年(明治28年)4月17日までの約212年間。

台湾民主国

1895年に締結された下関条約によって日本に割譲された台湾で、祖国清から見捨てられた台湾人達が郷土を防衛するために建国を宣言した国家である。大日本帝国と乙未戦争を戦ったが敗北し征服された。
(1895年-1945年)

日本統治時代

日清戦争の敗戦に伴い清朝が台湾を日本に割譲した1895年(明治28年)4月17日から、第二次世界大戦後の1945年(昭和20年)10月25日、中華民国統治下に置かれるまでの植民地支配の約50年間を指す。

台湾国民政府

1949年に崩壊状態に陥った南京国民政府を、蒋介石が台湾に移転して再編成したことによって成立した中華民国の政府を指す呼称である。

総統民選期

中華民国では、1996年から総統の選出方法が国民による選挙(民選)となり、与野党の政権交代も起きるようになっている。