グアム-観光マップ
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---The guam ---
主な観光スポット

グアムの歴史
   リディアンビーチ
          ジナプサンビーチ
         ジーコ
    タモン湾    
     ハガッニャ湾   ●恋人岬    
      ●タモン  
       ●中部エリア    
 アプラ港    グアム国際空港  
       ●グアム大学  
       ●パゴ湾展望台  
    横井ケープ  
      ●セラ湾展望台  タロフォフォの滝  
        ●セッティ湾展望台  
         ●ソレダット砦  熊岩    
         ●ココスアイランド  
グアムの歴史
グアムの歴史
1521年にマゼランがヨーロッパ人として初めてグアム島に到達し、 1565年にレガスピが来島してスペインの領有を宣言し植民地となり、 1668年にサン・ビトレスを中心としたイエズス会が布教活動のため 訪れるようになりました。 しかし、宣教師が祖霊崇拝を始めとす るチャモロ人の伝統的な習慣や文化を厳しく禁止したため、 不満を持つチャモロ人も多く、その不満は1669年のスペイン・ チャモロ戦争として現れました。

キリスト教に反抗的な村は全て焼 き払われ、10万人いたとされるチャモロ人が5000人以下に激減し ました。そして、以降は目立った反抗は無くキリスト教文化が定着 するようになったと言われています。

1941年12月8日に太平洋戦争が勃発。日本海軍は真珠湾攻撃の5時間後 (日本時間午前8時30分)、グアムへの航空攻撃を開始しました。 同月10日日本が占領したが、1944年8月に米国が奪還(グアムの戦い) した。以後、戦争終結までアメリカ軍の日本本土の爆撃拠点として 活用されました。

1950年に合衆国議会によりグアム自治法が制定され、 「アメリカ合衆国自治的・未編入領域という政治的地位となり、 スキナーが初の民間人知事となりました。現在まで米軍の太平洋戦略上、 重要な基地のひとつとしてグアム島は活用され、近年は日本からの 観光客を中心とした観光地、リゾート地として発展を遂げています。

Wikipedia参照





グアムの言葉
公用語は英語、チャモロ語ですが、日本からの観光客 による収入が島の大部分の収入を占めていることから 日本語も使われており、日本語を理解できる住民がか なり多いです。島では、あちこちの店に日本語が使わ れています。また、フィリピン系も多く、タガログ語も使用されます。

Wikipedia参照