|
横井ケーブ
|
|
横井ケーブ
横井庄一さんが終戦後15年にも渡って暮らした
住居のレプリカで、現在でもその暮らしぶりが伝わるリアルな
スポットです。居住空間は直径1メートル程の
穴をはしごを使って降りていき、中には竹を敷き詰めた
3m程の広さと高さ1m程の空間があります。
ここを拠点にして横井さんは15年もに及ぶ想像を絶する
潜伏期間を過ごしています。近くにはタロフォフォの滝などがあり、
水浴びや生活用水を調達していたのだろう。現在はグアム歴史資料館
が建設され当時の様子をわかりやすくジオラマなどを使って
展示されています。
横井ケイブ(よこいケイブ)は、かつて旧日本兵横井庄一さん
が太平洋戦争の終戦を知らずに約28年間もの間、グアム島
のジャングルで生活した際に自作し使っていた地下壕です。
しかし、一般公開されているものは観光客目当てに韓国人が
作ったレプリカです。実際に横井庄一が生活していました
洞穴はさらに山奥に位置しますが、私有地内のため観光客
が立ち入る事はできません。
横井庄一伍長
グアムでの戦いが終結した後、横井庄一伍長ら数名の日本兵が
終戦を知らずにジャングルに潜伏し続けていました。1人生き
残った横井は1972年(昭和47年)にグァム島住民に発見。
保護された後日本へ帰国しています。
Wikipedia参照
|
|
|
グアムの戦い
|
太平洋戦争(大東亜戦争)におけるマリアナ-パラオ戦役の
戦いの一つです。サイパンの戦いに次ぐ死傷者を出しました。
グアム島はマリアナ諸島中の島で、大戦開始前にはアメリカ
の統治下にありましたが1941年12月10日に日本軍の攻撃
によって奪われる。飛行場を有し、絶対国防圏内の要所
であり、アメリカ軍の侵攻に伴い攻撃目標となることが
予測されたため、1944年には陸軍の第29師団及び第48独
立混成旅団が派遣されました。アメリカ軍はこれを奪還
すべく第77歩兵師団と第3海兵師団を派遣しました。
アメリカ軍のサイパン島侵攻時にパラオへ出張中で、
サイパン島へ帰れなくなっていた第31軍司令官・
小畑英良中将は、グアムで指揮をとっていました。
サイパン島の玉砕により第31軍司令部が壊滅すると、
第31軍司令部はグアムで再編成され、サイパンで戦死
した井桁敬治参謀長の後任として、中部太平洋方面艦
隊参謀副長として海軍との調整役に当たっていた田村
義冨少将が任命されました
|
|