タヒチ-観光マップ
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タヒチ島
---The Tahiti ---
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パペーテ砲撃
第一次世界大戦中の1914年9月22日に、ドイツ帝国海軍のドイツ東洋艦隊艦艇によ るフランス領ポリネシアのパペーテ砲撃が行われた。ドイツのシャルンホルスト 級装甲巡洋艦「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」がフランス領タヒチ島の 首都パペーテの港に侵入し、フランスの砲艦「ゼレー(Zelee)」とフランスに 拿捕されたドイツ貨物船「ワルキューレ(Walkure)」を沈め、それから町の防 衛施設を砲撃した。陸上の砲台や砲艦が抵抗したが、多勢に無勢でひどく打ち負かされました。

ドイツ軍の主な目的は、島に蓄えられていた石炭の山を手に入れることであったが、それは戦闘開始時にフランス側によって火をつけられ炎上されて接収出来なかった。

ドイツ装甲巡洋艦はほぼ無傷であったが、フランス側は砲艦を失った。 また、パペーテの建物が幾つか破壊され、町の経済はひどく打撃を受けた。 この戦闘の戦略的重要性は、ドイツ装甲巡洋艦の位置がイギリス側に知れたことにあります。

それによりコロネル沖海戦が発生し、そこでドイツ東洋艦隊はイギリス艦隊を破った。また、パペーテでシャルンホルストとグナイゼナウが弾薬を消費したことが、フォークランド沖海戦でのドイツ東洋艦隊壊滅の一因となっています。

Wikipedia参照
タヒチ島の観光スポット
         
         
         ヴィーナス岬    
   王家の墓   ファアルマイの滝  
   パペーテ               南太平洋
ファファ国際空港      
         
ラグナリウム      
   オロヘナ山▲2241m    
タヒチ記念館      
         
             タヒチ・ヌイ    
         
アラフラフのマラエ      
            タヒチ・イティ
    ゴーギャン博物館  
         
          マイレヌイ山▲1306m
         
         
         
         
         
タヒチ島
タヒチ・リゾートホテル
 
タヒチ島
19世紀後半、ヨーロッパ諸国はこの島を人々が地球上に残る最後の楽園と呼んだ。 日本からは南東に約9500kmの東部南太平洋上にあり、フレンチポリネシアには 118の島が浮かんでいます。

その海域は日本の10倍を誇り、日本からの観光客でもお馴染みの タヒチ島やモーレア島、ボラボラ島などが所属するソシエテ諸島、 その隣に位置するツアモトゥ諸島、北東のマルケサス諸島、南東の カンビエ諸島、南のオーストラル諸島など、火山活動によって生まれた 5つの諸島から形成される。

中でもソシエテ諸島には人口の80%が暮らしていて、首都パペーテには 3万人もの人が生活しています。人種構成はヨーロッパやアジア系の 混血を含むポリネシア人が約75%、ヨーロッパ系が15%、アジア系が10% となっています。

タヒチ島の観光スポットは殆どが、 タヒチ・ヌイの1周道路沿いにあります。島を一周するバスが ないため、レンタカーを借りるか、タクシーをチャーターして移動します。

島の西側は高級ホテルが点在し、ビーチも賑やかで洗練されています。 東側は地元の人々がビーチでくつろぐ風景が見られます。

主な観光スポットは、 ノートルダム大聖堂、マルシェ、王家の墓、ヴィーナス岬、ラグナリウム、 タヒチ記念館、ファアルマイの滝、アラフラフのマラエ、ゴーギャン博物館、 などがあります。

パペーテ
パペーテ(Papeete)とは南太平洋ポリネシアにあるフランス領ポリネシア及びタヒチ島の首都です。 タヒチ島に位置します。

パペーテは1818年イギリス人宣教師ウィリアム・クックにより築かれた。 女王ポマレ5世はパペーテに彼女の裁判所を移し、1820年ポマレ5世はパペーテを彼女の首都とした。 そして、町は主要な地方の船積みおよび交通機関の中心となって発展して行った。

1842年フランスはポマレ5世に対しタヒチ島をフランスの保護領となる条約に署名を要求した。 ポマレ5世はそれに応じ、そしてパペーテはフランス領タヒチの首都として確認されました。 第一次世界大戦中ドイツ海軍によりパペーテ砲撃が行われた。

現在、パペーテの町は官庁、病院、銀行、航空会社および旅行会社、 免税店や黒真珠の店などが立ち並び観光客で賑わう。 パペーテの玄関口で あるファアア国際空港は1962年に完成した。

Wikipedia参照


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タヒチ観光シーズン
一般にタヒチと呼ばれるフランス領ポリネシアは、 沖縄県の2倍に相当する4167km2もあり、場所によってその 気候は微妙に左右される。

旅行のベストシーズンといわれるのは5月〜10月の乾季にあたる時期で、 日中の日差しは強いものの、木陰に入ると貿易風のおかげで 涼しく過ごすことができます。朝晩は多少涼しく感じられるので 薄手のカーディガンなどが必要です。
タヒチアンダンスの歴史
ダイナミックな動きで魂を揺さぶる、体の奥底から湧き上がるような タヒチのソウルを激しいリズムに乗せて表現する伝統芸能。 南国の夜を華やかに彩る人気のエンターテーメントとしても 知られます。

その歴史は古く、1820年代にさかのぼる。当時、露出度の高い服装で、 腰を振る様相が、神聖なるキリスト教徒から批判の声が猛威をふるい、 不道徳で野蛮などと揶揄され、次第にタヒチアンダンスは姿を 消していった。

しかし、1950年代になって、復興運動が起こり、次第に観光業の 躍進とともに、現代ではタヒチではなくてはならない貴重な 伝統芸能の一つとなっています。
タヒチアンダンスの種類
タヒチアンダンスといえば、まず思い浮かぶのがオテアだろう。 オテアとは性の表現が根元にあり、早いテンポで膝を左右に 動かす男性にあわせ、女性が激しく腰を動かす踊りだ。

また、アポリマはギターやウクレレといった楽器をつかって 伴奏に合わせて上半身を動かしながら悲喜交々、思いのたけを 体を使って表現するダンスです。

その他、数十人が円座して歌う中心で、1組の男女が踊るパオアや 円になったダンサーが回りながら踊るヒビナウなどがあります。

タヒチアンダンスで欠かせないのが伴奏に用いる楽器で、 そのほとんどが打楽器です。サメの皮を張った太鼓パフやファアテ、 木を削って形をととのえただけのトエレなど古くから伝わる 伝統楽器に、ウクレレやギターなどの近代的楽器が加わり 1つのバンドを形成しています。