宮本武蔵-主な出来事と年表
宮本武蔵は生年: 1584年(天正12年)
現在の岡山県美作(みまさか)の一部とされる地で生まれたとされています。ただし、出生地や生年には諸説があります。
没年は1645年(正保2年)
熊本藩の細川家に仕え、晩年を熊本で過ごした。そして、武蔵が亡くなったのは、熊本の金峰山(きんぽうざん)の麓にある洞窟「霊巌洞(れいがんどう)」で執筆活動をしていた時期とされています。
西暦 | 主な出来事 |
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1584年 (天正12年) | 播磨国(現在の兵庫県)で出生。幼名は弁之助。
一説によると現在の岡山県美作(みまさか)の一部とされる地で生まれたとも言われています。 |
1596年 | 初めての決闘(13歳)。但馬国で剣士・有馬喜兵衛を倒す。 |
1600年 | 関ヶ原の戦いに西軍の一員として参加するも敗北。 |
1604年 | 吉岡一門(京都の名門剣術道場)との戦いに勝利(吉岡清十郎との決闘)。 |
1612年 | 巌流島で佐々木小次郎と対決し、勝利を収める。この戦いで武蔵の名は全国に広まる。 |
1614年 | 大阪冬の陣に徳川方として参加。 |
1615年 | 大阪夏の陣にも徳川方として参加。戦国時代の終焉を見届ける。 |
1634年 | 小倉(現在の福岡県北九州市)に移り、細川忠利に仕える。この頃から芸術・思想に没頭する。 |
1640年 | 細川忠利の要請で熊本へ移住。 |
1643年 | 五輪書を執筆開始(熊本・岩戸山)。剣術哲学や生き方についての思想を記録。 |
1645年 | 熊本の金峰山で亡くなる。享年62歳(満61歳没)。 |
西暦(年)元号備考
1584年天正(てんしょう)1573年〜1592年
1592年文禄(ぶんろく)1592年〜1596年
1596年慶長(けいちょう)1596年〜1615年
1615年元和(げんな)1615年〜1624年
1624年寛永(かんえい)1624年〜1644年
1644年正保(しょうほう)1644年〜1648年
元号の背景
天正(1573年〜1592年)
織田信長から豊臣秀吉の時代。戦国時代の終盤にあたる。
文禄(1592年〜1596年)
豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄の役)が行われた時期。
慶長(1596年〜1615年)
関ヶ原の戦いや大阪の陣など、武蔵の若い頃と活躍が重なる時代。
元和(1615年〜1624年)
戦国時代が完全に終わり、江戸幕府が安定し始めた時期。
寛永(1624年〜1644年)
江戸時代初期の文化が花開いた時期。
正保(1644年〜1648年)
武蔵が亡くなる直前の時代。