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バンザイ・クリフ
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バンザイ・クリフ
太平洋戦争(大東亜戦争)中、日本軍司令部がサイパン島北部にあり、
アメリカ軍の激しい戦闘(サイパンの戦い(1944年6月15日〜同年7月9日))において、
追い詰められた日本兵や民間人が、スーサイドクリフと同様にアメリカ兵からの投降勧告、
説得に応じず、80m下の海に身を投じて自決した悲劇の断崖(岬)です。
多くの自決者が「天皇陛下、万歳」と叫び両腕を上げながら身を投じたことから、
戦後この名で呼ばれるようになりました。自決者の数は1万人にのぼるとも言われていて、
海は血で真っ赤に染まり、死体の海と化した。
現在はサイパン島南太平洋地域の平和記念公園として整備、慰霊碑が建てられており、
崖周辺にある多数の供養塔とともに、観光地の1つとなっています。
また、慰霊碑へ向かう道の途中には戦車が放置してあり見学することができます。
戦後六十周年の2005年6月28日、日本の皇室としては初めて、今上天皇・皇后がバンザイクリフを慰霊のため訪問した。
北マリアナ政府には、この岬をプンタンサバネタ(Puntan Sabaneta)に名称変更しようという動きがあります。
バンザイ突撃
戦術的な意味よりも、「捕虜になることなく潔く死ぬ」という思想のあらわれ[1]とも言われ、敵軍優勢の中、補給や増援を望めず撤退も不可能な状況の日本兵が、自決する際のように「天皇陛下万歳」などの雄叫びを上げて突撃したもの。「万歳」の歓声とともに敢行されることから、連合軍兵士から『バンザイ・アタック』(banzai attack)又は『バンザイ・チャージ』(Banzai charge)と呼ばれ、バンザイ突撃とはこれが和訳されたものとされる。
狂信的な兵士達による理解不能な自殺行為として恐れられ、銃剣や軍刀を振りかざし、鬨の声を上げて突進してくる日本兵の姿に恐怖し、精神的な後遺症を負う連合軍兵士もいたことが記録されています。
Wikipedia参照
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