トマノン

アンコール東部・北部
トマノン
勝利の門から一つ北に通る道筋に、挟むように南北に、ほぼ同規模の小さな寺院がある。北側がトマノン、南側がチャウ・サイ・テボーダで、内部には中央祠堂に接続された拝殿や東塔門がある。西塔門は中央祠堂から少し離れていて、周囲はラテライトの壁で囲まれている。

 

周壁の内部は1基の経蔵が東南隅に配され、東塔門にはテラスが接続している。構図は平地式の伽藍配置で、特に中央祠堂は階段を四方に配する十字形の平面が特徴。東側以外の三方には前房の付いた偽扉があるなど、さまざまな造形が織り成す。

 

アンコール遺跡・トマノンアンコール遺跡・トマノン
南側のチャウ・サイ・テボーダと比較すると、どちらも同時期の12世紀初頭に造営されたものだが、トマノンの方はほぼ建築当時のままを保っている。これは、フランス極東学院によって10年もの歳月をかけて修復されたためで、チャウ・サイ・テボーダと比べると、修復技術の高さがよく解る。

アンコール東部・北部記事一覧

チャウ・サイ・テボーダチャウ・サイ・テボーダは、トマノンと道を挟んで、殆ど同じようなつくりになっている。平地式寺院で、南北に経蔵があり、痕跡から四方の塔門とテラスが連続していたことが解る。ここでも主祠堂と拝殿が連続しており、主祠堂東の前房に、リンガを祭った物と見られるヨニが配置されている。また、バプーオンの参道で見られた砂岩の円柱デッキがここにもあり、東塔門と拝殿をつないでいる。祠堂の壁面にはデバ...

タ・ケウ未完正ゆえにその歴史的価値が非常に高いタ・ケウ。この寺院はジャヤヴアルマン五世によって11世紀初頭に造営が始められたが、王の突然の死によって石材を積み上げた状態でそのままに放置されている。特に頂上部のある祠堂などはごつごつとした状態で、明らかに骨組みといった感がある。また、通常描かれるレリーフなどが一切なく、そのことから、クメール建築の工程が読み取れる。「クリスタルの古老」という意味を持つ...

タ・プロームガジュマルの大木の下で記念撮影をする観光客。タ・プロームでは定番の光景となっている。この巨木は今回のアンコール遺跡観光で最も印象に残ったものといってよいだろう。まるで、巨大なオクトパスに破壊されるようなタ・プローム遺跡。遺跡のいたるところにめり込んだ木の根は、数百年という単位で、遺跡を締め上げるよう破壊を続けている。そのため修復作業にはこのガジュマルの木を取り除くかどうか賛否両論になっ...

バンテアイ・クディ「僧房の砦」という意味があるこの遺跡は、もともとはヒンドウー教寺院として建てられたが、その後ジャヤヴアルマン七世によって仏教寺院にに改造された。そのため東西を貫く道沿いにはリンガの台座や新しい仏像などが祭られているヒンドゥー敦様式と、仏教様式が混ざり合っている。寺院の構成はバイヨンと共通するものがあり、四重の周壁で囲まれた中に伽藍が展開している。ラテライトで囲まれた周壁を東塔門...

スラ・スランバンテアイ・クディの正面に広がる広大な池で、「王の沫浴のための池」と言われる。10世紀には原型が造られていて、テラスや池の周囲に砂岩の縁取りがなされている時期がバンテアイ・クディの本格的工事の時期とほぼ同じことからこのことが言える。池の中央には、ほとんど壊れているがメボン寺院と同様に塔が建っていたことが確認できる。また、その塔の位置とバンテアイ・クディの正面がずれていることから、この塔...

プラサット・クラヴァンアンコール遺跡群のなかで、全てがレンガ造りという特徴をもつ寺院。平地式の寺院で、基壇の上に5つの塔が東向きに一列に並んでいる。ヴィシュヌ神を祭った物で中央塔の内部にはヴィシュヌ神が浮き彫りにされている。また、一番北側の塔にはヴィシュヌ神の妻、ラクシュミーの立像が見られ内部には美しいラクシュミーなどの浮き彫りがある。1964年からフランス極東学院によって修復がなされ、保存状態も...

プラサット・バッチュム貯水池スラ・スランの南にある比較的マイナーな遺跡。長期にわたって道路整備が行われず、容易に赴くことが出来なかったが、1994年にフランス極東学院とアプサラ機構・文化遺跡局の協力によって道路整備が行われた。同一基壇の上に東向きの3塔が並ぶ、3主堂式のレンガ造りの小さな遺跡だが、東には楼門、環濠、貯水池があった。3つの塔それぞれに石に刻まれた碑文が残っていて、東メボンを計画したの...

プレ・ループ東メボンの南約1.5kmの所にあるピラミッド式寺院で、東メボンと同様の造りだが、こちらのほうが遥かにスケールが大きい。中央伽藍と東塔門の間には死者を素魚に付したという石槽が置かれ、火葬の儀式が行われていたといわれる。造りは3層のラテライトの基壇上に5基の祠堂が並んでいるピラミッド式の寺院で、3層目の四方に4基の祠堂が配置され中央にはさらに2段の小さな基壇があり、その上に中央祠堂が建てら...

東メボン東バライ(貯水池)のちょうど真ん中辺りに、広大な池の中央に浮かぶように建設されたのが東メボン寺院。東メボンは、952年にラージェンドラヴァルマンニ世によって建立されたシヴァ派の寺院で、造営から9年後には同王によってプレリレープも造られた。東バライはヤショーヴァルマン治世時代(889〜910年)に造られているので、そのため、貯水池が先に造営され、そのあとに寺院が建築されている。構造も変化に富...

タ・ソムニャック・ポアンの東側にあるタ・ソム寺院は、伽藍の周囲には僧達の住まいの痕跡が見られることから、もともともともと僧院だったと推測される。タ・プロームと同様に木根が遺跡を締め付け、破壊されつつあると同時にそれぞれの遺跡が苦痛の悲鳴を上げているようにも見える。西塔門では、3種類の色合いの異なった砂岩がひとつの建物に用いられているが、材質が悪く、石灰質が溶け出し、表面が剥離したものが多く見受けら...

ニャック・ポアン治水の信仰対象となっていたニャック・ポアンには「からみあう蛇(ナーガ)」の意味がある。2匹の大蛇によって基壇を取り巻かれた祠堂が池の中央に浮かんでいる。この寺院は、東西のバライ上に浮かぶ両メボン寺院と同じ性質をもっていて、四方に張られた小池に水を流れ出す、いわば水門のような役目を果たしている。この技術はクメールの農耕文化を象徴していて、当時の高い治水技術が伺える。中央の大池から四方...

プリア・カンプリヤ・カーン(PreahKhan)は、カンボジアにあるアンコール遺跡の一つで、仏教とヒンドゥー教の習合寺院である。名は「聖なる剣」を意味し、かつて境内で発見された剣に由来する。アンコール・トムの北東に位置する。この地はかつてヤショーヴァルマン2世の王宮が建てられており、寺院を建立したジャヤーヴァルマン7世は、王宮を支配していたチャンパ王国のジャヤ・インドラヴァルマン4世をここで戦って...

バンテアイ・プレイプリア・カン遺跡のすぐ近くにある小さな遺跡で、周囲はかなり荒地となっていて足場が悪い。寺院は回廊で囲まれた中に1基の中央祠堂が残っている。回廊は塔門まで接続され、4方向を向いているため四隅にも小さな塔があったことがわかる。さらにその回廊は各建物をつなげているが、その規模も小さく、開口部も少ない。王子のために造られた寺院であるとされる逸話も残っているが、あまりにも規模が小さいため、...

クオル・コーバイヨン様式の小さなヒンドウー教遺跡。バイヨン様式という言葉がたびたび登場するが、これはラテライトの周壁に囲まれた中に、塔門、拝殿の付属した中央祠堂と経蔵が残っているものを一般的にそう呼んでいる。クリシュナ神がゴーヴァルダナ山を持ち上げるといったインドの神話に基づいたレリーフなどが刻まれているが、現在は落下して地上に瓦礫として散在している。この題材はカンボジアで6〜7世紀頃から用いられ...

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