アンコールワット関連記事一覧

アンコールとクメール建築「全ての道はアンコールに通じる」この逸話が象徴するものこそクメール建築に現れていると感じる。時の民をも言わしめた言葉であるが、当時の盛栄を極めたクメール王朝の12世紀末から13世紀初頭にかけて多くの宗教施設を造営し、同時に道路の整備も行われた。この時に東南アジアの大部分がアンコールに通じていたといわれる。東はベトナム東部にあったチャンバ王国、西はタイの大部分、マレー半島北部...

バイヨン寺院アンコール・ワットと共に肩を並べるように存在感を示すのがアンコール・トムで、エリアの中心に鎮座するバイヨン寺院が見所の一つとなっている。世界文化遺産のひとつとして知られるアンコール遺跡は今でこそ世界中から観光客が訪れるが、観光地としての歴史は非常に浅い。今から140年ほど前まではその存在すら知られていなかったくらいだ。当時のクメール王朝はインドシナ半島の大部分とマレー半島の一部までをも...

アンコールワットの魅力アンコールの魅力の一つにその構図が揚げられる。クメール建築では神のための宮殿は頑丈で耐久性のある砂岩やレンガで建造し、人間である王の宮殿は自然の恵みを象徴するかのように木材を多様している。なぜこのようなすみわけになったかは諸説あるようだが、一つにこの王都が不変のものであったことが考えられる。聖地として揺ぎ無い信仰を集めたアンコール遺跡群は群雄割拠の部族たちにとって共通の聖地と...

アンコールワットと日本の関係仏教の聖地、釈迦在世にあった5つの寺院でもある「祇園精舎」の視察という目的のためカンボジアを訪れている。以下はWikipediaを参照していただきたい江戸幕府三代将軍・徳川家光は、長崎のオランダ語の通訳・島野兼了に仏教の聖地「祇園精舎」の視察を命じている。その頃カンボジアのプノンペンの日本人町の人達は、アンコール・ワットが祇園精舎であると誤認していた為、その誤った情報が...

アンコールワットと説話アンコールワットと説話にはプノンペンの仏教研究所が出版したクメール昔話集が非常に参考になる。カンボジア人の伝承の中で、どのように語られてきたがが詳しく書かれている。仏暦600年、上海にルム・セーンという人物がいた。ルム・セーンは貧しい花売りをしながら生計をたてていた。ある日のこと、インドラ神の天界から天女達がルム・セーンの花畑へ遊びに来た。その時に天女トウップ・ソタチャンは花...

アンコールワットの見所さて、アンコールワットの見所を自分なりに発見したところを解説してみたいと思います。通常、西参道よりアンコールに入りますが、ここからの眺めは最も有名なシルエットのアンコールが水平線を強調しながら、その雄姿を誇っている。観光客の殆どがここで写真撮影をします。一見横長に広がっているように見えるが、実は東西に広い長方形の敷地のため、奥行きの方が遥かに広い。順路を急いで第一回廊へ向かう...

アンコールワットの回廊アンコールワットの第一回廊のレリーフは絵巻のように順を追って見ていくことにより一つの物語が完結するようになっている。物語こそ違うがその手法は反復する絵巻を終始貫いており、単調な展開を敢えて精細をかくとして高く評価されない向きもあるようだが、長編絵巻をじっくりと見ていくと、時の王が何を伝えたかったのかが、何かしら感じ取れることだろう。第一回廊は東西200メートル、南北180メー...

アンコールワットの朝日年末からシェムリアップに入った僕たちは、数日に渡ってアンコール遺跡を訪れた。なかでも一番印象的だったのはアンコールワットの朝日です。ただでさえ朝日を見ると崇高な気分になり、なんとなく心が澄み切った感じがします。それが、年末の大晦日から初日の出を見ようと出かけたわけですから、それはそれは、幻想的な雰囲気に包まれたのは言うまではありません。通常の見学時間とはことなり、夜も入場する...

アンコールワットの夕日アンコールワットのサンセットの定番といえば、プノンバケンが挙げられるだろう。旅のクライマックスを締めくくるのがベストで、出来れば最終日に訪れたい。数日に渡ってアンコール遺跡を巡り、そのクライマックスを幻想的な夕日と共に広大な台地に暮れ行くその姿は、何物にも変えがたい想い出となるだろう。悠久の歴史を刻み続けた刹那が今も昔も変わらず、繰り返されている。そんな歴史のロマンを感じなが...

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