屋久島縦走はじめに

屋久島縦走-宮之浦岳ヘッドロック
屋久島縦走-宮之浦岳ヘッドロックへようこそ。別に私はレスラーでも何でもない普通の一般人なのですが、なぜか宮之浦岳の山頂に立つ標識をヘッドロックせずにいられませんでした。今から思えばスキンシップのようなものだったかもしれませんが、偶然にもこのヘッドロックが今回の屋久島縦走の象徴的な一枚となったため、あえてタイトルとさせていただきました。

 

屋久島縦走を通して感じた好奇心や冒険心、不安、失望感、怒りや憎しみ、気迫、気力、そして笑いや涙までに至るまで、喜怒哀楽(感情)のオンパレードを実感したままに、息子との珍道中や絆などをおりまぜながら、屋久島縦走を紹介しています。

 

2009年より高校生になった息子が縄文杉に行ってみたい!と言ったのがきっかけで始まった「屋久島縦走」(のちに試練となる)でしたが、それはそれは大変過酷な旅路となりました。しかし、その分得られたものは大きく、憎しみに満ちた、当時の宮之浦岳山頂のヘッドロックが今では愛情表現にさえ思えてしまうくらいに充実したものとなりました。

 

2日間の縦走は初日6時間、2日目が9時間30分の超過酷なスケジュール。途中で何度も挫折して心が折れました。また、「なんで来てしまったのか?」という後悔の念や、「もう絶対来ない!」といった憎しみの気持ちにもなりました。しかし、2日目の最終バスは待ってはくれません。携帯でタクシーに連絡しようとも電波は圏外です。誰とも連絡がとれません。万が一最終バスに乗り遅れるような事があると、予約しておいた民宿に迷惑がかかりますし、ビバーグして、夜を明かしたとしても家族には心配もかけます。もう最終バスに間にあうしか無いのです。

 

特に2日目の宮之浦岳山頂から淀川登山口までが最も記憶に残ります。追い詰められた時間と体力。そして気力。背中には10kg超の荷物を背負い、すべてを振り絞って前に前にと一歩一歩進みます。時には軽やかに木道を降ることもありましたが、悪路でゴツゴツした岩場や木の根が張り詰めた上や登り斜面などはゆったりとしたペースでしか進めません。

 

所々に設置されている案内板に目を向け、あと5kmやあと4kmという表示に励まされます。しかし、それと同時に1km=1時間という目安に気付かされます。もうかれこれ1kmは歩いたかなと思ったころに実際500mくらいしか進んでいなかったりもして、案内板の表示をみて絶句して身体中から力が抜ける思いもしました。

 

淀川小屋まであと2.5kmの案内板。このあたりが一番辛かった。二人とも気力、体力の限界にきている。息子が「あとどのくらい(時間)?」と尋ねてくる。心では2.5時間と解かっていても、息子にこれ以上辛い思いをさせられない。まして、バスに乗るために淀川小屋から紀元杉バス停まで、さらに1時間近くは歩かなければならない。合計3.5時間。とてもじゃないがこの時正直には答えられなかった。

 

息子との距離がだんだんと間延びしてくる。目視できなくなるたびに「来てるか!」、「ガンバレー!」と叫び励ました。また、その声に自分も叱咤激励された。なにより息子の頑張る姿に励まされる。そんなことを数回繰り返した。が、二人とも、もう限界の限界に、、、。しばらく立ちすくみ二人ともしゃがみこんでしまった。

 

淀川登山口まで残り2km。テーピングした足はむくみ、膝には激痛が走る。息子も足のつま先が痛くてたまらないと悲鳴を上げている。ザックからペットボトルを取り出し水分を補給し、アメ玉で糖分を補う。疲れた体にしみわたっていくように、少しだけ気力を取り戻すのを実感する場面だった。「残り2km!ガンバルゾ!」と気合をいれ再び立ち上がった。

 

この時点で、要所要所のチェックポイントの時間が15分遅れで来ていて、焦りは増すばかりだった。さらに続く悪路。急斜面、思い荷物が二人の進行を妨げる。一番辛かったのが宮之浦岳頂上からの後半戦はなだらかに降っていくと勘違いしていた事だった。辛い、足が痛い、膝が痛い。登り。ん?「登り?」何で下山しているのに登山しなければならないのか?だんだん登り坂に腹が立ってきた。そう、いくつものピークを超えながら下山するルートになっている。

 

後半は楽勝とたかをくくっていたのが間違いだったのか、登りになるとそんな自分に腹が立つ。「クソー!」、「もう絶対に来ん!」。息子も「ワー!」と叫び出した。それから二人で、コンチクショー!、二度と来ん!何で?下山してるのに登山せんといかんとかー!(方言丸出しでゴメンナサイ。)怒りの絶頂というか絶唱でした。

 

おかげで?というと少し変だが、怒りにかまけて幾ばくかの距離は稼げた。でもそうこうして歩いていると、だんだんと怒りも無くなってきた。腹の底に煮えくり返っていた怒りがだんだんと薄らいでいく。そして腹の底から出し切ったのだ。怒りは山に捨てたといえばカッコいいかもしれないが、もうへとへとで怒りも湧いてこない常態だった。。

 

淀川登山口まで残り1.5km。といっても1時間30分。ここから気合で乗り切るぞ!怒りの推進力を無くした親子は、ここから気合で歩きだした。オース!、オース!、ヨイショー!ヨイショー!トー!、トー!、おりゃー!、おりゃー!、、、二人の掛け声が静まり返った山懐に響き渡る。それでも幾度となく斜面が立ちふさがる。めげずにめげずに突き進む。だが、なんとなく感じていたが、小高いピーク超えはジャブのようにじわりじわりと心を折っていく。目の前に急な斜面が迫るとまたかーと心が折れる。

 

気合エンジン終了。もう怒りエンジンでも気合エンジンでも前に進めん。最終バスの時刻には何とか間にあいそうだが、気力も体力も尽き果てた。そんな時、呆然と立ちはだかる目の前の斜面を見ながら二人はどうしたと思いますか、、、?

 

「泣きました」ハイ、泣きました。もう泣くしかない、、、。ハーンアーンとすすり泣き、背面からも息子のすすり泣く声が。ウーウーと。振り返ると泣きながら顔をくしゃくしゃにしながら懸命に歩く息子の姿をみてまたもらい泣きした。わーんわーんと泣きながら二人で歩いて行く。そうこうしていく内に残り1kmを切った。

 

泣きのエンジンが全開だ。無我夢中で泣きながら歩いた。歩いて歩いていくうちに一人の紳士的な登山者とすれ違った。おそらく遠くから二人の泣き声を聞いていらっしゃたのだろう。息子に登山口はもうすぐですよ!と声をかけていただいた。思わず目を合わせた親子は、この言葉にどんなに励まされたことだろうか。心から嬉しかった。そして、なによりもこの二日間の屋久島縦走が完結する瞬間がまじかに迫っている期待、そして達成感が待ち遠しかった。

 

気力、体力、感情、全て出し切ったせいだろうかやけに身体が軽い。そして気持ちがいい。二人のペースも自然と速くなっていった。そして最後のピークを登りきり、ゆるやかな降りの先にアスファルトの道路が見えてきた。それは、普段よく見る普通の車道ではなく、とても神々しいものであり、ゴールを告げる場面でもあった。思わずやったーと叫びあい、二人で抱き合って喜んだ。ヤッター着いた。がんばったー!、がんばったー!。抱き合いながら、また自然と涙が溢れてきた。やりきったという達成感と幸福感で心は一杯になった。

 

あとがき
屋久島縦走を終え、いろんな方にお世話になり、ありがとうございました。また応援していただき、この場をかりてお礼を申し上げます。そして、これから屋久島縦走を計画している方に少しでもお役に立てればと思います。娘と共同で製作した粘土細工の屋久島模型を使って紹介しています。ごゆっくり「屋久島縦走-宮之浦岳ヘッドロック」をご覧ください。乱筆失礼いたしました。

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