アンコール遺跡-巡礼の旅
 HOME
---The Angkor ---
アンコールワット
主な観光スポット
その他のスポット
 

クメール語
クメール語(クメールご)は、オーストロアジア語族のモン・クメール語派に属する言語。カンボジア語とも呼ばれる。カンボジアでは、全人口の約9割を占めるクメール人(約1400万人)が話し、カンボジアの国語および公用語となっている。さらに、隣国タイ、ベトナム、ラオスのカンボジアとの国境に近い地域にも母語とする人々(約200万人)が住む。

Wikipedia参照
アンコール遺跡について
バンテアイ・プレイ    クオル・コー          クバール・スピアン▲
  プリア・カン         タ・ソム  
     ニャック・ポアン    
         
              バンテアイ・スレイ
         
         
 ライ王のテラス   トマノン    
  像のテラス         タ・ケウ      東メボン
      チャウ・サイ・テボーダ    
  王宮周辺        
 バイヨン寺院      
       タ・プローム   プレ・ループ
アンコール・トム        スラ・スラン  
      バンテアイ・クディ  
    南大門          プラサット・バッチュム
  プノン・バケン        
   アンコールワット   プラサット・クラヴァン
         
                 ロリュオス遺跡
                ロレイ
            プリア・コー
         ▼シェムリアップへ            バコン
アンコール遺跡について
アンコール遺跡
 
アンコール遺跡について
「すべての道はアンコールに通じる」。この言葉がアジアを旅しているとたびたび頭の片隅に現れる。 中国、ベトナム、タイと、整体師としての武者修行出かけたのが2008年末。中国は大連、傅先生に師事し、 ベトナムではホーチミンにてマッサージ店を渡り歩いた。さらにタイではタイ式マッサージの真髄ともいえる、 タイ古式マッサージの現場で多くの痛みを抱える人々を目の当たりにしてきた。

足掛け1年にも及ぶ武者修行で、常に僕の背中には60Lのザックがあった。必要最小限のものが これに詰め込まれている。時には1晩5$の安宿へ泊まったり、バックパッカーが集うゲストハウス で情報交換をしたり、移動する際などヒッチハイクは常套手段でもあった。

そんな行き当たりばったりの整体武者修行の後半、タイのチェンマイでかけがえのない友人Tさんと 出会うことになる。Tさんはベトナムのハノイ出身で貿易の仕事をしている。語学も堪能で、片言の 日本語ならOKだ。

そのTさんの知人がカンボジアにいるとのことで、アンコール遺跡を見に行こうと いうことになった。整体の仕事とはあまり関係がなかったが、旅の総仕上げとして近隣諸国を支配した クメール王朝に触れてみたい。そんな想いでアンコール遺跡への興味が深まった。

アンコール遺跡 タイからアンコール遺跡へはバスで約10時間かかる。バスの乗り心地も良く、小奇麗にしてなかなか 快適だ。だが、なぜか料金が3000円と5000円の2パターンある。このからくりは乗車から8時間程度 たって容易に解った。カンボジア国境を越えるとアスファルトの道路から真っ赤な土の道路に変わる。 果てしなく続く直線道路。赤土の砂煙を上げ少しずつアンコール遺跡へと近づいているのを実感する。

順調に進んで、アンコール遺跡の観光の起点となるシェムリアップまであと2時間くらいのところで 突然バスが止まった。運転手曰くなんらかのトラブルが発生したとのこと。ですから、ここから先は 5000円のチケットを購入した客は別のバスが迎えにきます。3000円のチケットを購入した人は、ここで 下車して近くの宿で1泊するか、2000円を追加して別のバスに乗り換えてくださいとのこと。

結局、満員のバスの乗客全員が5000円のチケットを買わされたわけだ。皆それぞれにブーイングだったが 多国籍の言語が飛び交う車内はある意味貴重な体験をさせていただいた。そして、いくばくかの一体感 を共有できたのも事実だ。このからくりの実態というのは、運転手曰く「必ず目的地まで届ける」という 保障だと言うが、その限りではないことも言うまではないだろう。

アンコール遺跡 カンボジアの国境にあるアンコールワットを模したゲートを通過し程なくすると、観光の拠点 になるシェムリアップの町へ到着する。道端にはフルーツやアイスクリームを売る屋台がたちならび、 交通量もグンと多くなる。主流はやはりバイクが多いようだ。また、日本のランドクルーザーなども 多く見かけた。

ホーチミンでもこういったバイクの群れを見かけたが、単に移動する手段としてではなく、 灼熱の太陽に照らされた身体を冷ます目的もあるようで、夕涼みのためバイクに乗って 同じところをくるくると回っているライダーも多い。暑い国ではどこも万国共通のようだ。

アンコール遺跡 いよいろシェムリアップに到着。アンコール遺跡を観光する人の多くが、 この町を基点にして観光する。シェムリアップ自体はこれといった特色もなく、 皆一様に何もない町という。しかし、その何もない町がとても心地よい魅力をもっている。 物価も安く、治安もまずまずといって良いだろう。

僕たちは今夜の宿泊先となるタケオに向かった。タケオは「シェムリアップの宿」で触れて見たいと思うが、 とてもリーズナブルでバックパッカーにも人気の宿だ。ここを拠点にアンコール遺跡を巡ることになる。 今回のメインは2日後の大晦日の夜からアンコールワットに出かけ、新年のカウントダウンと初日の出を 拝むこと。ややスケジュール的にハードなところもあるが、頑張ってクメール王朝に触れてみたい。

アンコール遺跡 写真右が友人のTさん。左がわざわざ迎えに来てくれたTさんの知人Hさん。 いちおうHさんの案内でアンコール遺跡を回ることになっているが、Hさんもそこまで精通しているようではなく、 やや頼りない感もありましたが、懇切丁寧に案内していただきありがとうございました。

このサイトではHさんの案内をもとに少しでも解りやすくアンコール遺跡を紹介していますが、 僕も勉強足らずのところもあり、完全ではないこともご理解ください。また、ところどころに Wikipediaの参照を設けさせていただきました。詳しくはそちらをご覧ください。


アンコール遺跡概要
アンコール遺跡は、カンボジアの北西部、トンレサップ湖の北にあったクメール王朝時代の遺跡群である。 ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

アンコール遺跡群は現在のカンボジア王国の淵源となったクメール王朝の首都の跡である。 この地には、9世紀頃から数々の王建設が開始された。この遺跡に特に大きく関わったとされるのはスーリヤヴァルマン2世(1113-45年)とジャヤーヴァルマン7世(1181-1201年)と言われる。スーリヤヴァルマン2世は特にアンコール・ワットの建設を行い、その死後30年ほど後に王に就いたとされるジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムの大部分を築いたとされる。

しかし、ジャヤーヴァルマン7世が崩御した後のアンコールはアユタヤ朝の進入を度々受けその存在を侵され始め、その後ポニャー・ヤット王にはついにアンコールを放棄するに至った。

アンコールの主な遺跡
中心部 アンコール・トム(バイヨン、クリアン、象のテラス、バプーオン、プレヤ・パリライ、プレア・ピトゥ、ライ王のテラス、ピミアナカス)、 アンコール・ワット、 プノン・バケン、 バクセイ・チャムクロン、 トマノン、 チャウ・サイ・テヴォーダ、 スピアン・トマ
東部 タ・ケウ、タ・プローム、スラ・スラン、プレ・ループ、バンテアイ・クデイ、 バンテアイ・サムレ、タ・ネイ、東バライ、東メボン、プラサット・クラヴァン
北東部 クオル・コー、ニャック・ポアン、タ・ソム
北東部郊外 バンテアイ・スレイ、クバール・スピアン
北部 プリヤ・カーン
西部郊外 西バライ、西メボン、アック・ヨム
南部郊外 プノン・クロム
南東部郊外 ロレイ、プリア・コー


Wikipedia参照



アンコール遺跡-巡礼の旅検索


ジャヤーヴァルマン7世
クメールの美術の象徴とも言えるアンコール・トムが建設されたのは、このジャヤーヴァルマン7世の時代であり、このジャヤーヴァルマン7世の時代に、政治的にも文化的にも大きな発展を遂げたアンコール朝は、全盛期を迎えたのである。

しかし、寺院の建設による国民の民心離反や財政破綻を招いたのも事実で、このジャヤーヴァルマン7世の時代を契機として、アンコール朝は急速に衰退するのであった。

仏教寺院バンテアイ・クデイもジャヤーヴァルマン7世によって建立された。2001年ここで行われた発掘調査で地中深くから大量の仏像が発掘されたが、その大部分は首が切り落とされていた。壁からは仏像が削ぎ取られている。その後、即位した王が再びヒンドゥー教を掲げ、仏像を破壊させたと考えられ、宗教を通して激しい対立があったことをうかがわせる様である。

Wikipedia参照


Copyright © 2007 2008 アンコール遺跡-巡礼の旅 All rights reserved. ※無断転写を禁じます
免責事項:当サイトにおける情報は保障するものではありません。自己責任にてご利用ください。
日本骨盤セラピスト養成スクール